東京にあこがれて東京で金融の仕事をしたものの、利益第一主義という考えに嫌気がさして、北海道の旭川市のタクシー運転手への転職をした男性の体験談です。
東京ではありえなかった人と人の触れ合いのある毎日に満足しています
私は大学こそ地方の公立大学の出身ですが、東京で就職したいという憧れが強くありました。大学を卒業後に、何とか東京で就職する事は出来ました。しかし、東京という街に漠然とした魅力を感じていましたが、住んで働いてみるとそうではありませんでした。
あのマハトマ・ガンディーが言った七つの社会的罪(Seven Social Sins)の中に出てくる3つ目にある良心なき快楽(Pleasure without Conscience)や7つ目の献身なき信仰(Worship without Sacrifice)と言った、人とは何かと言う事が全く分かっていないように感じました。何事も、所詮は他人だと言うように感じました。
だから私は東京の事を「鋼鉄の砂漠地帯」と名付けました。私は東京では外国為替証拠金取引仲介業者に勤めていました。金融機関ですので、当然のように「利益第一、客はその次。だけどお金持ちは大事に」というのがはびこっていました。そういった考えについていくことができず、嫌気がさしたので、退職をしました。学生時代にあれだけ憧れていた東京の事が嫌いになり、親戚のいる北海道の旭川市に引っ越しました。
叔父がタクシー運転手だったので自分もタクシー運転手になった
北海道では、私の父の弟、つまり叔父に随分とお世話になっていました。そして、その叔父が旭川市でタクシー運転手をしていました。ですので、私もタクシードライバーになろうと思い、タクシー会社に転職をすることにしました。
勿論最初はつらかったです。でも、お客様の「ありがとう」とか「おつりはチップであげるから取っといて」と言われる、東京ではありえなかった人と人との心の触れ合いが毎日のようにあります。東京での金融機関の仕事では、お礼を言われるのもクレームを言われるのも得したとか、損したとかお金のことでしたが、ここではそういった基準はありません。
だから、私は「この仕事は天職だ」と思えるようになりました。はっきり言って、今の旭川市のタクシーの需要と供給はアンバランスになっています。タクシードライバーは供給過多になっています。当然の事ながらそのつけはタクシードライバーにかかってきます。
それでも、お客様へのサービスをすることが必要だと考えています。私は、大学時代、ホテルの宴会スタッフのアルバイトの経験があった事で、タクシー運転手の仕事を単なる車を運転する人ではなく、サービスを提供する客商売だと考えることができているのは大きいと思います。まだまだ、そのこと解っていないドライバーが多いと感じます。
供給過多といえ、稼ぐことのできている人もいます。おそらくお客さまに満足を提供することができているのだと思います。私もまだまだだと思いますので、これからもより一層この仕事を頑張っていこうと思います。
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